ようやく政府がミャンマー国軍に対して「旗幟(きし)を鮮明」にし始めた。日本のODA(政府開発援助)は間接的に長年に亘って国軍を助けてきたからだ。
ODAは表面的には軍事援助と関係ない。橋を作ったり発電所の整備などのインフラ整備事業は広く人々の生活に裨益するからだ。しかし、本来はそれはミャンマーを実質的に統治する国軍の役割だ。ODAはその責任を軽減させ、浮いた資金を(外敵からの防衛でなく国民を弾圧するための)軍備に回せる。ODAに内在する「代替的効果」の例だ。
ミャンマーの国軍は政府の統制下になく、予算なども公表されない。年間3000億円と言われるヒスイの販売収益が主な源泉だが、そのほかにも数千億円の石油・ガスなどの販売収入も国軍関連企業に入り、国軍の資金源になる。ミャンマーにはODAに頼らなくても国民の生活を豊かにする資源がたっぷりあるのに、それが国民を助けるのでなく国民を殺す武器に使われてきた。日本のODAはそのような無責任な国軍を間接的とはいえ助けてきた点で政治的にも道義的にも問題がある。
もう一つの問題はインフラ整備事業の多くが日本の大手企業に流れ、結局のところODA資金が日本に還流することだ。例えば(国軍が市民を80人以上を虐殺した)バゴー市の橋梁建設工事(280億円)は三井住友建設が請け負っている。現地にその規模の工事を実施できる企業がないせいもあるが、利益は日本に「還流」する。無償資金協力や技術協力のための機材調達も日本企業が受注する。その中で胡散臭い「政商」が活躍したりする。日本政府が自慢する「国軍との独自のパイプ」は見方を変えればODA資金還流のための「金のパイプ」でもある。
国軍が支配する限り、日本のODAは「還流」を許さず、食料援助や医療援助など国民の生活を直接助けるため国際機関やNGOを通した人道支援に限られるべきだ。ミャンマー国民の塗炭の苦しみと命を思えば、日本企業のODAにかかる「逸失利益」は微々たるものだ。
ミャンマーODA停止は、欧米の素早い動きに比べタイミングを失しメッセージ効果は減るが、正しい決定であり、速やかに実行されるべきだ
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