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アウシュビッツ

出張の最終日は、1951年の難民条約の原点とも言えるポーランドのアウシュビッツ収容所跡を訪問。欧州各国からの若者が大勢いた。

今も残るガス室では、多い時には1日6000人がチクロンBという毒ガスで殺されたという。ガス室の壁には、苦悶する人々の爪痕らしいものが残っている。隣の部屋には遺体焼却炉がいくつも並んでいる。

アウシュビッツを解放したのがソビエト軍だったというのは、今のロシア軍のウクライナでの蛮行を見ればなんとも皮肉だ。

ポーランドは、ウクライナを協力に支持し、最近は戦闘機を四機送ったが、その背景には、かつてソ連がポーランドを侵略したという記憶がある。

アウシュビッツからクラコーへのバスは混んでいて1時間半の旅は立ち乗り。違う若者達に2回も席を譲られて、2回目は受けざるを得なかった。フランス人の男の子だった。僕は筋トレをしていたのだが、疲れてフラフラしているように見えたか。

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