昨年秋に米国ピューリサーチセンターが実施した各国での国連の評価を見ると、日本では評価しない人が48%、評価する人が40%と、先進19か国の中で下から3番目に評価が低かった。日本より悪いのはギリシャとイスラエルだけ。欧米諸国民は押しなべて高い評価をしている。
一方で、日本国内では「国連崇拝」ともいうべき風潮がみられる。日本で最も優秀な若者がJPO制度などを利用して国連で働くことを目指す。現役の国連職員だと、大学などで話をして欲しいという声はしばしばかかる。「私は国際公務員です」というととても偉い人のように扱われる。欧米ではまず見られない反応だ。
調査に見られる日本人の国連に対する低評価と「国連崇拝」は矛盾しているように見えるが、どう解釈すればいいのか?
答えは、日本人が国連を国家の上に立つ存在、正義を体現する存在、何でも解決できる存在だと誤解していることにある。国連に長いあいだ勤務した者からするとそれは幻想だ。しかし、そのような幻想を持つ者からすると、ウクライナへのロシアの侵略を止められないことを始め、国連は世界各地の問題の大半を解決できていないではないか、ということで、「国連はダメだ!」と失望してしまうのだ。現実離れした期待がひどい幻滅を生んでいる。
国連に世界の問題を解決する力はない。金もないし軍隊も持っていない。色男、カネと力はなかりけりだ。国連本体の年間予算は約4000億円に過ぎない。東京都庁の予算約6兆円の15分の1だ。
国連は要するに各国が言いたいことを言いあう場だ。国連は各国が自国の利益のために活用する組織で、本人たる加盟国の代理人だ。代理人が本人である加盟国に支持することはできない。加盟国が時として国際公共益のために共同するのも、それが自国のためになるからだ。大半の国と人びとはそれをよく知っている。
日本は例外だ。国連を崇め奉り、国連職員や国連報告者の言うことをありがたがり、国会議員が「国連がダメだと言ってるのに政府が無視するのはおかしくない?」といった質問をする。いわば国連は親で日本は子、親の言うことを聞きなさい、というわけだ。国会議員にしては悲しくなるほどナイーブな国連観。
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