入管法改正案の成立が見送られた。修正協議に応じた与党・政府がさらに譲歩した。昨年の「定年延長」を巡る検察庁法案の廃案と並んで、2度にわたって「世論」の圧力で法案が通らなかったことについて、法務省は情報公開・説明責任を含め、強く反省すべきだろう。
今回の法改正問題は収容・送還など強制退去手続きや、スリランカ女性死亡事件を巡るビデオ公開という点に焦点が当てられて政治問題化した一方で、難民認定制度にかかる重要な点がほとんど取り上げられなかった。
一つは新たに導入された「補完的保護者」についてだ。法案では「難民以外の者であって、難民条約の適用を受ける難民の要件の内迫害を受ける恐れがある理由が難民条約第1条A(2)に規定する理由であること以外の要件を満たすものをいう」とあるだけで、詳細は書かれていない。世界中で増えている「紛争難民」などを保護する上で重要な規定であるから、国会の法務委員会で十分議論されるべきだった。
もう一つは入管庁内部で作業が進む「難民認定ガイドライン」の内容だ。来年の難民条約加入40年を目前に控えて初めて作成される「ガイドライン」は、入管法の外で「取り扱い要綱」などのような形で作られている。これは2015年の「難民認定制度に関する専門部会」の提言を受けて、昨年から作業が本格化したものだが、「ジェンダーによる迫害」の明記など、いわゆる「国際基準」を意識した前向きな内容には見るべきものが多い。ミャンマー難民申請者への対応を含め、今後の難民認定に非常に大きな影響を与える100ページ近い(?)「ガイドライン」だが、これについての議論も全くなかった。
そもそも、収用や送還など「強制退去手続き」は難民認定手続きでは「最下流」の問題だ。「上流」で難民認定がきちんと行われ、救われるべき人が救われるなら、強制退去にまで至るケースは減少する。入管庁が、今回の法案の重点を補完的保護や認定ガイドラインなど「上流問題」に置いていたなら議論の流れも違ったものになっていたかもしれないが、難民認定よりも退去強制を重視する入管庁はそういう発想が薄かったのだろう。だからこそ難民認定を入管庁から切り離すべき、という議論も出てくるのだ。
他方で、市民団体は(難民申請者ではない)スリランカ女性の死亡事件に焦点を当て、SNSやデモでそれを争点化し、「世論」を作り上げることに成功した。しかし対案を出したわけではない。単に「入管法改悪反対!」を唱えることは、①仮放免中は働けない、②特別在留許可を求めるには難民申請するしかない、③凶悪犯罪を繰り返す者でも難民申請をし続ける限りは退去強制できない、④収用期間には上限がない、⑤被収容者の処遇にかかる定めがない、⑥補完的保護もな、など多くの欠陥を含む現行入管法の方が良いと主張することに等しい。現行入管法は改正がない限り存続するが、それは喜ぶべきことなのか。
今回の事態で難民問題に関心が高まったが、議論の焦点がずれているため、理解は進まなかった。むしろ誤解が増えたかもしれない。結局は何も変わらなかったのではないか。
廃案となったことで、次回の法案提出があるとしても来年になるだろう。時間の余裕ができた今こそ、議論がほとんどなかった難民認定の根幹にかかわる実質的な内容について、アカデミアを含めて、大いに議論がされるべきだ。収容と強制退去問題については、与野党の修正協議で合意した点を入れた新法案をたたき台にして検討するという道もある。
相互の不信感が強い中で、「対話」は難しいが、対話が成立するなら、韓国のような「難民法」の制定ができるかもしれない。そうであれば「危機を好機に転ずる」こととなる。
これらの点についてシンポジウム的なものを考えていたのだが、今回の事態を受けて、7月からシリーズを開始する予定。
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